足をついてもいいやんか

のんびり、休憩しながらですよ

【レビュー】正解するカドは正解したのか?

正解するカドというアニメがあります。

seikaisuru-kado.com


このアニメを見た感想と僕の考えを書いていきたいと思います。

カドは正解したのか?

正直なところ物語自体は前半は少しどうなって行くのかなとドキドキしながら見ていましたが、徭 沙羅花の正体がわかったあたりから、ドキドキ感はなくなりました。

主人公とすごい力のもったヒロインが協力して強大な的となったヤハクィザシュニナを止める。

しかし、実際に行われたその方法が、主人公である真道幸路朗の交渉力や培ってきた人脈という、人類そのものの力をを使ったものだったことは楽しめた部分です。

一部の天才と大量の努力。それをつなぐ存在。それによって作り出された対抗するための武器。

しかし、あっけなく敗れ去り、第二の手が明かされる。

人類だけでない、生物の持つ種としての力。

次の世代に紡ぐ力。

真道幸路朗がヤハクィザシュニナの本当に求めるものを理解し、提供しようとした存在である、ユキカ。

ユキカを紹介したスマホのムービーではこの宇宙と異方の新しい解と紹介されていた。

この時にザシュニナは一つ間違えたことに気づいたのではないかと思う。真道幸路朗がヤハクィザシュニナは箱庭を作って遊んでいることを求めているのではなく、新たなる興味を求めていることに。そしてそれを見抜かれ、出し抜かれていたことに。

そして、その間違いを認めることができずに新たな解であるユキカに正解を与えられる。

与えられら正解は新たな興味である、経験したことのないものである消滅であったのではないかと思う。

ヤハクィザシュニナは自己の存在の認識を間違えた。人類と同じ途中の存在だということに気づけなかった間違い。

ユキカにより途中の存在であると解を与えられ、その時に求めていた興味である消滅を与えられた。

で、ヤハクィザシュニナは消滅してしまった。


では、カドと呼ばれる存在は正解したのか?


タイトルは正解するカドである。

ザシュニナでも人類でもない。

カドとはなんなのだろうか。

物語では語られていないが、一度、徭 沙羅花が「カドのような物性体のようなもの」と発言することがあることや、ヤハクィザシュニナはカドに対して命令のように口に出している。

とから、異方存在からしても、ただの物として認識されているようである。

しかし、そうだとすると、カドは正解や不正解を起こすものではないはずである。

僕はカドとは現象だと思った

僕はこの作品で呼ばれているカドというものを現象のことだと思ったのです。

そこに存在するもの。それがカド。現象。

つまり、常に正解でしかない。不正解であれば、そこに存在しないから。

真道幸路朗と徭 沙羅花は次の世代へとつなぐことで存在することができる現象を作ることができた。だから正解。

ヤハクィザシュニナは消滅してしまった。だから不正解。

そういうことになるのかなと思いました。

ここからは個人的なキャラクターに対する感想ですが

真道幸路朗

相手の望むものを様々な状況から読み取り提供する。人類が持つ社交性という最大の強みをもっている、まさに今回の作品では主人公になる人だなあと思います。
種族等の描写もある作品なので、特にそういう部分を出しているのかなと。

子供を最後の手として使うというところは良い悪いでは意見が分かれるんでしょうが、アニメ作品ですしね。

徭 沙羅花

人類寄りの異方存在で、圧倒的な母性として描かれているのかなと思いました。

ユキカ

真道 幸花
人間と異方存在の間に生まれた子として登場した彼女ですが、16年間、おそらく親ではない人に育てられて、グレてないのはまぁ、次元の高い存在だからなのかな?とか思っていました。というか、次元が高いってどんな感じなんでしょうか。

ところで、真道 幸花を生み出すという策を考え付いたのは、真道幸路朗か徭 沙羅花か、どちらなんでしょうね。

もしかして、恋愛的な表現もありましたから、偶然子ができていて、今回のような方法となったのかもしれませんね。

そうなったらなんかまた違う作品として見れますかね?

まとめ

とまぁこんな感じになりました。

少し未消化感があり、じっくりと考えて見たいなと思い記事にして見ました。

どうでしょうか。

そんな、「正解するカド KADO: The Right Answer」はアマゾンプライムビデオで見ることができますよ。