足をついてもいいやんか

のんびり、休憩しながらですよ

楽観的すぎた自分と恐怖感

不安感から引き摺り出されるもの

時々、言いようのない不安感に包まれる。それ自体は特に問題はない。頓服を飲んでおとなしくしていればそのうち消えるから。いつもはそうだった。不安症という病名もドクターから頂いている。

この時は夕食中に突然不安感が出てきて食事も手につかないような状態になってしまったため、夕食を途中で切り上げ食後薬と共に頓服を飲み少しおとなしくしていた。

しかし、いつもならば不安感は消えるはずなのだが、なぜか消えない。消えないどころか具体的でない不安感から具体的な自分はこの先どうなるんだろうと言う将来への恐怖感へと変わって行くように感じた。

楽観的すぎた自分に気づく

今までは自分が働ける事を信じており、信じているからこそ元の場所に戻れるのだと思っていた。ところが今は働ける状態にない事を認識して時間をかけて治していかなければいけない事を自覚したのだが、その分、治るのではなく悪化してしまったらどうなってしまうのだろうと言う恐怖感が出てきた。

さらに、今まで働いていた場所は福祉の現場である。双極性障害という言葉などほとんどの人が知っており、ある程度の理解もしている。そして危険度も。そんな場所に再び復帰できるのかという疑問が自分の中で出てきた。

今までは働けると信じていた頃は、現場ではきっと理解してもらえて今まで通り働けるはずだと思っていたが、それは非常に楽観的で都合の良い考えではないかと思えるのだ。

現場から管理に少し目を向けてみれば、躁状態の危険度を知っていてそれが仕事中に出た場合のリスクを適切に判断できる人たちがたくさんいる場所に復帰などできるのかと。

普通に考えればそのようなリスクをあえて受け入れる必要はないのではないのだろうか。ただでさえ不祥事の多い業界。そのような根は断ち切っておきたいはずだ。

では、自分はどうなってしまうのだろうか。
このような事を延々と考えてしまうのである。

現実にならぬ事を祈る事しかできない

不安を感じることも行く末の恐怖を思うことも止めることのできないことであり、そうならない事を祈るしか、今の自分には出来ないのかもしれないなと諦めに似た感情を持ちながら思う。

せめて、治療がうまくいきますように。
日常で問題行動を起こしませんように。
職場に戻れますように。

運命を他人に任せる恐怖感。